帰宅
この度は、わたしの病気の件でたくさんの方々にご心配、ご迷惑おかけしました。
約2か月の入院から、、、
本日、退院。
久々に帰宅しました。
本当にたくさんの、ほんとにほんとにたくさんのやさしい気持ちをいただきました。
ありがとうございます!!!!!!
こんなんじゃ、、、足りない、、、
これから、長い時間をかけて、恩返しさせてください。
そして、やっぱ、、、
家、サイコー!です。
生きがいをもって、世の中にメッセージを!とパワーを発信していたあたしでさえ、いとも簡単に、負のスパイラルにおちていった。
病気とはそんなもの。
実質的な病気で身体が壊れるのとは別に、心の損傷の激しさがこんなにあるのか、ということを知った。
治療すればよくなるんでしょ。
考えすぎ、、大げさじゃない?
とことん病気の原因追求して、、そんなとこもあなたっぽい。
ほっとけばよくなるのに、、
などと、軽視されたこともあった。
病気の人には、絶対に言ってはいけないことがある。
それを確実に感じ、傷ついた。
あたしの病気は免疫力がアホになり、筋肉、皮膚、関節を壊す病気。
膠原病
治療方がわからないという難病でした。
人の身体で、筋肉がないところはほとんどない。
要は全身が痛い。
足の指先の隙間まで筋肉はある。
そこまで、全部痛い。
合併症の肺炎による呼吸困難
肝臓のウイルス感染
身体がちぎれそうな激痛。
痛み止めも効かない。
動けない、、もう、踊れない、という絶望。
指先、顔のただれ、むくみ。
血がにじむ。
塗り薬なんて効かない。
痛くて何もつかめない、、もう、縫えない、という絶望。
何も考えられない。
何も浮かばない。
おもしろいことの一つも言えない。
とりえがない。働けない。
病気はあたしのやりがい、生きがいを奪って、
激痛、絶望にかえていった。
検査の恐怖、病気の不安、人生の不安、呼吸困難、こころない言葉。
「痛い」「苦しい」が脳みその全てを占めると
こんなにもまともにものが考えられないのか。ということを知った。
握力がなくなり、飲み込む力と生きる気力を失った。
入院して、さらに痩せていた。
それに加え
入院2軒目の病院の主治医の適当な対応
誤診。
不信感。
隣りのベッドからは同じ病気の人達のききたくもない会話。
「58で、こんな病気になって、、もう5年
死ぬまでこれで苦しむのかと思うと先行きうんざりだ。
子ども三人、成人させたし、ま、もう思い残すことはないけど、、」
あたしは、まだ子供もいなければ、これからやりたいことも沢山あった。病気を抱えながら生き延びてしまったら、、、ただ苦しいだけだ。
こんなに辛いのに、こんなに痛いのに
生き延びる意味はあるのか。
生きがいも失い、世の中の役にたてない身体で迷惑かけるなら、そんなあたしに世の中のエネルギーを使うなら、いなくなった方がいいのでは、と。
死にたい、と思わせる出来事が重なると
タイミングが重なると
きっと人は自らの命を断つんだ。
死ぬことばかりを考えた日があった。
腕の筋肉を切り取る検査のために10cmのメスを入れる手術がまっていた。
肺に管をいれて、組織をとる検査もまっていた。
かなり苦しいです。癌が見つかる可能性もあります。
と言われていた。
皮膚にぶすぶすと針を刺す検査は誤診により、意味のない検査になってしまったり、、、
情報が錯そうしていたり、、、
淡々とした説明。
主治医に泣きながら訴えた。
せめて不安をとりのぞいてほしいと。
医者といっても人は人。
病気を治せるのは技術と知識だけではない。
「おもいやり」
畳み掛けるようにようにわいてくる不信感
命を任せられる主治医ではなかった。
あたしはただのクレーマーか、
いや、この人をあたしは
信頼できていない。
死ぬ前に言いたいことは言ってやろう。
そんなこんなで、家族、主治医と他二名の医師、看護士との話し合いの結果、
父親も絶句。
言葉づかい、言葉のチョイス、ため息の出るような対応だった。
ここの病院じゃだめだ。
という結論に。
「おもいやり」が欠けていた病院から
家族が手配してくれた別の病院へ移った。
それにしても、
最後の最後まで、、、、、最悪な医者だった。
2月13日
あたしが死のうとした日
少しのタイミングで人生はかわる
家族の支え
友達からの励まし
仲間の力
舞台の成功の知らせ
あの日、死ななくてよかった。
大切なものが何か、、、実感した。
新しい病院では、
「もう検査はいままでので十分です」と
すぐに治療にはいってくれた。
今まで
採血
皮膚生検手術
筋電図
レントゲン、CT、MRI
胃内視鏡カメラ
皮膚のただれの所見
これで十分だったらしい、、、
腕も切り刻まれずに、肺の検査もなし。
治療方針から最悪のケースの話、何故ならばこうだから、、これからのこと、、、
とわかりやすく丁寧に説明してくれた。
安心してまかせられる。という喜び。
時間はかかるけど、必ずお仕事復帰できますよ、という「希望」も添えてくれた。
病院でこんなにもちがうものか、と思った。
治療がはじまり
激痛はやわらぎ、他臓器の検査も進めながら、副作用の体調不安定はあるものの、栄養士さんによる計算されためちゃめちゃおいしい病院食と、5日に1回の採血でしっかり管理され、病室も快適で、、、精神的な落ち着きを取り戻せたことが一番おおきかった。
原因もわからない病気
だけど
ショックを感じる極度のストレスが原因という説がある。
今思うと、、、あれだ。
という出来事が去年の春、おきていた
そこからの
体重減
脱毛
生理不正出血
関節痛
発熱
9月嘔吐 歯肉炎 頭痛
10月皮膚のただれ 口内炎
11月呼吸困難 倦怠感
12月全身激痛 筋力低下
どれもこれも治らず、、、
何軒の病院にかかったか、、
12月には人間ドックもいっていた。
結果は異状なし、、、
おかしいだろ、、、
1月も1日から山積みの仕事におわれながら、悲鳴をあげながら過ごしていた。
仕事の合間に
病院をはしご
痛くて上手くにぎれない車のハンドルは、イボイボつきの軍手で補助していた
症状が多すぎて
思い当たる病院にいきまくった。
どこの何科にいけばいいのかすらわからず、、、
大きな病院の入り口で、、いつも涙がとまらなかった。
1/21
症状の経過、職業、日常生活、など
カルテが真っ黒に埋まるほど事情聴取のように細かく事態を把握してくれた内科の医師に出逢えた。
そして
はじめて「膠原病」を疑ってくれた。
皮膚科と連携をとり、熱心に対応してくれた。
「今日、入院できますか?」と言われたけど
1/26には本番があることを伝えると
検査入院なのでお仕事のめどがつくタイミングでしっかり調べましょう
と言ってくれた。
今思うと、よくあの状態でステージにたったものだ。
1/26 4BEATZ @渋谷0-east
約30分のSHOW
周りの仲間が構成も配慮してくれて、踊ってる風にみえるステージにはなったみたいだった。
腕や足首が、ちぎれてとんでいく気がしていた。
それをおさえなきゃ、、
バカになってる脳みそで、そのことばかりを考えてた。
くるったようにテーピングをぐるぐる巻いてる記憶と、あまりの痛み、苦しさにステージで吐き出した自分の悲鳴以外、あまり記憶にない。
さぞ、無様なショーだっただろう。
生きてた。
踊りおわって、そんな風に思ったのははじめてだった。
プロとしては当然、失格の舞台だった。
1/28
検査入院
2/9
専門病院に転院
最悪な主治医
激痛と絶望と恐怖
2/16
転院
2/18
治療開始
地獄まで、旅をした。
そんな感じでした。
治らない病気
だから、またいつ地獄へ旅するかわからない。
その不安は一生続く
でも病気が沢山のことをきづかせてくれた。
この時間は、すごく必要な時間だった。
あれ?あたしはすでに、、、もってるぞ。
すでに、満たされている。
やりがいのある仕事、認められているもの、楽しい時間、大切な人達、生活
もっと、、、報われたい?と思っていたものは、、、
満たされないものでブクブク太るより、今あるものであたしは十分幸せだ。
この地獄を、試練を乗り越えたおかげで、
たくさんの「無駄」が見えて
やっとどっかりと腰が据わった感じ、というか
冷静沈着にいろんなことを考えられた。
「余裕」ができた。
今までの自分が、ちょっとチープだった気がしてます。
忙しくてできなかった自分の事がたくさんあるなぁ、と
ゆっくり療養しながらも
充実した入院生活を送ることが出来た。
そしてその間の、地震。
地震でさらにいろんな事を考えさせられた。
人の強さも弱さも紙一重
タイミング、、、「今」なのだ。
今辛い
今苦しい
今助けて
という人の苦しみが、、
とにかく他人ごとじゃなかった。
「今」じゃなくてもいいエネルギーが
「今」必要なエネルギーになりますように
それだけを切に願います。
今日から自宅療養
まだ大量の薬を飲んでいる。
退院していい量ではない。と念をおされた。
油断すればまた振り出しに戻る。
病気の不安は消えない。
もっと苦しい状況になるかもしれない覚悟もしつつ
もう少しのんびりスローライフを楽しみます^^
最低限の中で楽しむアイディアは湧いてくる
それがあたしのいいところ
そして、自分でも驚くほどクリアに
「これから」が見えて、
お!!なるほど~、と、楽しみだったりしてます。
病気が
上手に人生を生きていく方法を教えてくれた。
「大切なもの」は何か、教えてくれた。
そんな感じです。
そしてそれが、今とこれからの日本の力になりますように
支えられてる全てに感謝
それだけは絶対に忘れない。
ありがとう。
お世話になった病室
せめてものオシャレ。お気に入りスリッパ。
越~し~のケイト・モス。
・・・KETZさんにお会いできて、ご縁をいただいていることを何より有り難く思います。
くるみがつぶやいていました。「KETZさんのJAZZが踊りたいな」
桜も開いてますね~
おかえり
出会ってくれてありがとう
いっぱい共感
多くの気付き、おめでとう
膠原病…私の祖母は合併症の間質性肺炎で3月に他界しました。
膠原病にかかっていたことを家族誰一人気付かず、肺炎になってから膠原病だったことを知りました。入院してから2週間というあまりにも早い闘病生活でした。
KETZさんは膠原病に負けないでください!辛さは祖母を近くで見ていたのでよく解ります。
それでも闘ってください。そしてまたテノヒラさんの曲で踊っている姿を見たいです!その為に今はゆっくりしてくださいね(*^^*)
はじめまして
mixiでのマイミクのつぶやきから来ました。
軽々しく言ってはいけないけど言わせて下さい。
よく頑張ったね
尊敬します
苦しみの中で得たものを手に
ここから‥本当の意味での最高の人生を
切り開いていく事を心から祈ってます
BOO from NAGOYA
3ヶ月も前に書いてたんだね、知らなくて、心配でメールして、自宅療養になったと聞いて安心してた自分がほんと情けない。。。
つい最近、公演DVDが出来たとのメールで、もっと安心してた。
その時の状況を知りながら観るのはぶっちゃけ辛いけど、むしろ今観なきゃっどーすんの!?って、ダンサー側として思った。
応援するしかできない虚しさが積もるばかり…。
でも、とにかく、ただ、生きていてくれて本当に良かった。
これからも一緒に生きて生きて、生き抜こう!!
KETZちゃんはワタシの中の「大切なもの」だから。
お久しぶりです。
難病にあわれていたんですね…
文面を読み涙しか出ず、言葉が出ませんが…
KETZさんは僕にとってDANCEを真剣に考えさせて頂いた方の1人。
退院しても苦しみや痛みがある日はあるかもしれませんが…
病気に負けないでください!
絶対に勝って…
またお会いできるよう心からお祈り申しあげます!
KETZさん
初めましてcoloと申します。突然すみません。
私は昔からストリートダンスが大好きでKETZさんのダンスをお見かけしたことがあります。1度見たら忘れられない人だな~というのが最初の印象でした。1/26と6/27、偶然かわかりませんが両方とも観にいっていました。この間にご病気と闘っておられたのですね。6/27のステージでは「生」を感じていました。呼吸から生きているっ言われているようなそんな感覚を覚えています。
私は今趣味でダンスをしていますが、何かの機会にお会いすることが出来たら嬉しいです☆
これからのご活躍も心よりお祈り申し上げます。
(長々と失礼しました。)
colo
KETZさん、無敵のクリエーター。
なんだか本当に無敵だとおもっていたんですが、難病にかかりたいへんな思いをしていたんですね。
だけど、その経験さえも糧にしていっちゃう強さをもっているKETZさんみたいになりたいと思いました。
お体、大切にしてください。